創業者である谷上 功は、昭和20年8月の終戦と同時に中国からシベリアに連行され、約3年の過酷な抑留を経て、復員しました。その後、弊社所在地の青山に居住を始めました。
戦時中は、中国戦線で日本陸軍に所属し「100式司令部偵察機」の整備をしていたそうです。
そこで培った技術を生かし、現在の「株式会社 ユアテック」の前身である「東北電工」に入社し、同社青山出張所の所長を務め、昭和31年に「有限会社新興電気社」を設立しました。
リュックサック一つでシベリアから復員した谷上 功は、独立してから青山町の北側の滝沢村(現在 滝沢市)の未点灯部落と呼ばれる、電気の無い集落に電気を引込み、各家庭に裸電球とコンセントを付けて歩いたそうです。
当時、交通手段の無い地域であるため、工事に出る際は、1週間から10日間は帰らず現地に泊まって作業を続けたそうです。
谷上 功は、酔うとよく「最後の一兵に至るまで戦う」と言っていました。
それは、電気の無い集落に電気を点けるという信念を持っていても、あまりにも作業が過酷であり、自分自身に言い聞かせながら進めていく意志表示だったと思います。
創業者 谷上 功の「リュックサック一つから始めた」というフロンティアスピリットと、「最後の一兵に至るまで戦う」という不屈の精神は、我々新興のプライドであります。
このプライドを持ち続け、地域社会に貢献できる企業として継続していくことを目指します。